2008年1月23日水曜日

子を持った

一発目のブログなんで何をテーマにしようかと考えたのだが、やはり今一番の関心ごとに触れるのが良いだろう。。

昨年の10月に初めて子どもを持った。娘だ。結婚10年目にしてできた子。

もともと、子どもにそれほど執着を持っていなかった。
(年取ってきて「いても悪くないかな」程度には感じてはいた)
そんな時、相方の妊娠が発覚し、どうやら娘らしいということもわかってきて
ネガティブな感情は一切なかったが、多少戸惑う気持ちはあった。

「娘かぁ。。思春期すぎると結構オヤジに対してひどい態度を取るんだよなぁ。妹がそうだったしあれは理不尽な行為だ。そのくせオヤジは怒りもせず悲しい顔して、母親にあたったりするんだよなぁ。ちょっと嫌だな。かといってファザコンにしちゃっても男免疫できなくてかえって危ないし。。何より五体満足で生まれてくるにこしたことないけどこればっかりは運命だからなぁ。親は天命を受け入れて愛しサポートすることしかできないな。まてよ。そもそも子供が成人するまで俺は生きてられるのか?こりゃ一大事だ。。」

まぁ色々な感情が交錯したが、何にせよ人生は楽しくしてなんぼだから、生まれもしないうちにあれこれ悩んでも何も始まらないだろうと、それなりに二人でマタニティライフを楽しんだ。

さていよいよ生まれる段、自分はある理由から立ち会ったのだが、この時の経験はなかなかのもんだった。我々人間は詰まるとろ動物であり、生命誕生の瞬間は非常に生々しくかつ神々しいものだった。
自分は感動屋さんでも無いし、イベント好きでもレコーダーでも無いので、出産に何も期待をしていなかったのだが(むしろ何も無い<無事である>ことに期待をしていた)、いざ出産のその瞬間を目撃した時には制御効かず涙を(こっそり)こぼしてしまった。(あの時の涙については未だに言語で説明できない)

また、生まれた娘を抱いて目を見た瞬間、これもまた全く説明不能な感情が衝動的に湧き、

「この子を守らなければならない」

と心のそこから思ってしまった。
「これがDNAパワーなんだろうか?」
自分は全ての事象を言語で説明しないと気がすまない性質なのだが、これに関しては情けないかなこんな程度の陳腐な表現しかできない。子どもを抱いている自分自身はけっこう客観的で冷静だったのだが、もう一人の自分が子どもに熱くコミットしてしまっているのを、驚きををもってただ見ているだけだった。

さて、その子も3ヶ月を経過した。今は純粋に子どもと一緒にいると楽しい。この楽しさが子どもを育てたり、障害を克服する原動力になったりするのかなと思っている。

何にせよ人生は楽しみたいし、この子にも人生を楽しんでもらいたい。

自分は今親ばかを楽しんでいる。(友達はそんな俺をげたげた笑って写メ取っているが)

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