2012年6月28日木曜日

モルディブで大反省

現在モルディブ滞在中。せっかく娘を外国に連れて行くわけだしと持参した浴衣を娘に着せてレストランに連れて行った。予想通り、皆にモテモテ。すると自信がついたのか娘はここで知合いになった女の子とあろうことかバンドの前で踊り出した。周りの多国籍の面々にも積極的にコミュニケーションを取り始めた。 娘は日本では恥ずかしがり屋である。もちろんこちらに来ても、色んな人に声をかけられるのだがモジモジしてろくに返事もできないあり様だ。ホテルスタッフも「リコはシャイガールだね」とニヤニヤ(でも可愛がられるのだが)。キッズクラブにもなかなかチャレンジできない。 そんな彼女がだ。。 どんどんテンションが上がって踊りまくり笑顔を振りまく彼女を見て、娘を知っている人達は「パワフルだねぇ」と予想外の事に大喜び。娘は完全にゾーン状態に入っていた。 そんな娘をびっくり見ていたのだが、ふと思った。 娘はいつでもゾーンに入れてこちらのびっくりする様なエネルギーを発揮できるのは明確だ(それこそ浴衣一つのスイッチで)。だが、この様な娘をふだん滅多に見られないという事は、何かがそれを阻害しているということではないだろうか? そしてそれは自分なのではないか?(もちろん他の環境もあるだろうけど) 評価的な観点で接しすぎているのだろうか? 多くのフレームで縛り過ぎているのだろうか? 無条件の従属を要求しすぎてしまっているのではないか? 親は色々と間違いをしでかす。そしてそれもしょうがないとも思う(正解なんかわからないしね。毎日試行錯誤だ)。 でもポテンシャルが開放される機会にあふれた子供時代をなるべく過ごさせてあげたいなぁと願う。 そして昨日の夜は一人で大反省だったのです。

長期休暇をとった理由

今じぶんはモルディブに来ている。娘を連れての初めての海外旅行だ。 今回は少し長めの休暇を取る予定だ。理由は、どうやらここらが家族の節目のように思えたからだ。直接のトリガーは妻の勤続20周年記念として会社が長期休暇を提供してくれた事にある。 (ちなみに最近日本の会社は長期勤続に関するお祝いの制度を無くした所が結構有るらしい。長く勤められる事が喜ばしい事では無くなったのだろうか。この勢いでいくと定年退職の際には職場のみんなに不愉快そうに蹴り込まれる事を覚悟しなければならないかもしれない。。ああ先に辞めておいて良かった。。) 話を元に戻そう。我が家族の節目の話だ。そもそも休みをくれた妻の会社の存続もあやしい雲行きなので彼女のキャリアも何らかの変化は免れる訳にはいかない様子だ(妻曰く「ここまでこれたのだってツイテタのだからしょうがない」と既に敗戦マインド) 娘も何時の間にやらもう少しで5歳になる。これから家族との立ち位置も大きく変わっていくだろう。当然の話だ。今は親に対してささやかな抵抗しか示さないが、暫くすると昇竜な若者として敢然と家族革命の火蓋をきるに違いない。でもそれでいいんだよ。きっとさ。自分が親から与えられた価値観のフレームと大きく逆に振れた価値観に自分を置かないと自分が大人になった際の立ち位置が決まらないものね。 自分にしたって、独立して6年を曲がりなりにもやってきたが、環境や自身の心の変化等を考えるとこのままの道筋を進んで行くとはどう考えても思えない。かなりドラスティックな変化が近いうちに訪れる気がしている。 だから今回の旅行は終わるものへのお別れの意味を持つ。 誰かの本かなんかで読んだのだが、何かが始まるということは何かが終わることでもあるわけで、人は新しく始まるものに目がいくけど、終わるものにちゃんと決着つけておかないと後でバランスを崩すのだそうだ。 自分はその本を読んでから、必ず節目には終わるものへのお別れ儀式をする事にしている。そして結構それが良い結果に繋がっている気がしている。 今回の長期休暇で今までの人生と良いお別れをしないとね。