2009年5月30日土曜日

先生って(2回目の先生たちは)

前回、宿で一緒になった修学旅行の引率の先生方のご乱行を書きました。

後日、また他の学校の先生方と同宿する日がありました。
結果は。。。


非常に統制が取れていて士気も高かったと思います。(京都の学校でした)
宿泊客や宿のスタッフにも迷惑は一切かかっていないようでした。

同じ立場の、学校の先生でも全然違うのはなんでしょうかね。
マネージメント?幹部のリーダーシップ?

興味深いのはこの両校は一つ共通点があったことです。

両校とも夕食時と朝食時に先生方が一同に会すのですが、その時は

どちらの学校の先生もおとなしく粛々と会食が進んでいくのです。

(でもその後、片方はご乱行、片方はモラルの高い行動。。)

「上位役職者や階層的な指示型マネジメントに従順に従う」という昨今の教師特性については噂で聞いていましたがこれがそうなんでしょうか。。(昔は良くも悪くも突っ張る教師が多かったですがね)

ポイントは、酒が入って個の持つ顔が表れた時に、それぞれの人がミッションを自身のものとしてコミットしているかが出るんでしょうね。

今回は、結果的に面白い比較を体験できたと思いました。


ひどい一学校だけを取り上げて書くのもフェアではないと思いましたので
2回目の事情もブログに残すことにします。


全く内容の異なる追伸:

沖縄本島の読谷村に宿泊される方、「豚尾」っていうホルモン焼系居酒屋は当たりです。

(昔は相当やんちゃだったろうと想像させるマスターは、
長い間、新宿のアパレル系会社の幹部としてキャリアをおくってきたそうですが、
40過ぎてようやく故郷に帰ってもいいかなと思える程度に血が鎮まったんだそうです(笑))

モツは新鮮でうまいです。お試しを!

マル

2009年5月21日木曜日

先生って。。

今沖縄にいます。事情はこんな感じ。

昨晩は修学旅行の引率の先生方が宿を占拠しておりました。

予約の段階でその事は承知していましたが、なんせ、先生、それも修学旅行の引率とのことなので

「まさか無茶はせんだろう」

と宿の人と私は踏んでいたわけですが、いざ蓋を開けると

生徒の旅行か、先生の慰安旅行かわからんほど浮かれて大騒ぎ。。

元々、スモールホテルらしい構造ですから、連中の大騒ぎぶりをライブで味わう羽目になってしまいました。

騒ぎが静まったのが夜中の3時ちょと前。しゃれになりませんでしたわ。

こちらの学校、詳しい名前は聞きませんでしたが、今をときめく関西地方です。これだけの修学旅行自粛ムードが高まっているご時勢で敢えて旅行を決行するくらいですから、逆に士気が高くプロ意識にあふれた教員軍団なのかと思ったのですが、単なる低モラルな教員の学校だったようです(ちなみに旅行決行に関しては自分は中立です)。

完全にノリは慰安旅行です(これって費用は自治体か親持ちですよね?)。

この人たち生徒になんて言ってるんでしょう?

「周囲の迷惑なんて気にせず好きなだけ騒ぎまくれ。旅行は祭りじゃ!旅の恥はなんとやらじゃ!」

なんて言っていないですよねぇ。きっと。(もし言ってたら言行一致だから今回の事は許す)
生徒たちはこんな話聞いたらテンション下がるでしょうね。

子供の時、自分はこういう言行不一致で目下のものに偉そうに説教やいい子であることを要求する大人は大嫌いでした。
(おかげで今でもふんぞりかえった年上とか、権力振りかざす奴には反射的に反発するクセあります。。)

私は、最近色々と先生がモンスターなんやらとか過酷な勤務形態やらにまみれててかわいそうだなぁ。大変だなぁと同情していたのですが、これだけ社会通念とかけ離れたノリみたので今日を境に先生同情派を抜けることにします。先生は僕の子ども時代と変わってないかも。ひどかったっけあの頃は。。
同じ変なら僕はRCサクセションの「僕の好きな先生」のような人を愛します。

後もう一日修学旅行先生軍団が泊まる日とあたります。。
宿の人は「通常、そんな非常識なことは無いです」と言っていますがさてどうなることやら。。

しかし、あれでキレなくなったなんて、俺、年取ったなぁ。。

2009年5月20日水曜日

沖縄の日常に感じた、僕にとっての非日常

いま沖縄にいます。(説明に関してはonに任せましょう)


短い時間で感じた(私の)非日常感を書いておきます。

■村役場からの連絡

僕のホテルは役場に近いのか、一定の時間にスピーカーで大きな声で放送が入ります。

「(ああ、村の放送かぁ。学校から生徒が帰宅すんのかな(私んちの周りはこれが流れます))」と私。


「みなさん、さいきん、はぶのこうしょうじけんが、たはつしています」とスピーカー。


「(えっ?なんの事件だって??こうしょう?交渉?高尚?口承?哄笑?公傷?)」


(答えは【咬傷】でした。)


「草むらや夜間の歩行は注意しましょう」(スピーカー)



こわっ。夜道こわいっすねぇ。


■軍用ヘリ


滞在しているホテルは米軍基地の傍にあります。

沖縄の土地の大きな割合を米軍基地が占めているのは昔から承知していますが、

大きなホテルで宿泊している分にはその存在を強く感じることはほとんどありません。

(せいぜいリゾート地区に車で行く際に脇を通る事くらいでしょうか。。)



ところが今回のホテルでは、テラスで仕事をしていると、上空でいきなり爆音。



「なんだ!なんだ!何事?」



と空を見上げると軍用ヘリが2台も連なって飛行しています。

時々、爆撃機も空をつんざいてます。



私のイメージでは、フォレストガンプがベトナムで上官(CSI_NYのマックテイラー)に会っている時のシーンです。(鮮やかな南国で人々がくつろいでいるけど、周囲は軍機が飛び交っているあのシーン)



これも沖縄が内包している事実なんですよね。。

この開放的でゆったりとして美しい風景が戦場になったら、

もの凄い非日常感ゆえにさらに凄惨な空間となるのでしょう。

(でも現実に起こった出来事ですよね。数年前漁師のおじいさんに教えてもらったことがあります)



以上です。

2009年5月9日土曜日

RCやっぱいいなぁ

前回からの続き。

忌野清志郎氏が亡くなったことで、RCサクセションに関する思い出が湧き起こり、
ネットで曲を買いまくってしまいました。(15曲も買ってしまった。。)

でも、驚いたことに曲を聴いてもあまり色褪せてないのでびっくりしました。
結構、いいですわ。

最近、昔にひどくハマった曲が懐かしくなってネットで買って聴きなおすと、びっくりするほど色褪せててガッカリということが良くあるんです。(最近では高校時代にバンドでコピってたJガイルズバンドを聴いてうなだれてしまいました。キメ曲だったのに。)

まっ、RCサクセションに関してはかなりの思い入れがあったからかもしれませんね。

WikipediaであらためてRCを確認したら、自分が当時知っていた以上に相当やんちゃだったみたいです。(山のように放送禁止や発売禁止くらってる(笑))
でも改めて好きになりました。

2009年5月3日日曜日

ショック。。

(これは5/2に書きました)

清志郎が死んだ。

これは自分には大きな出来事でした。

自分は中学2年からロックに目覚めたのですが、ロックデビューはRCサクセションからなんです
(一応、今もコアにはロック魂があるつもり(笑))。

それまでは、テレビから流れる歌謡曲という世界やアイドルが均質的な価値観を押し付けられるような感じで嫌で嫌でしょうがなく(子供のクセに(笑))、テレビから歌が流れるとあわてて別の部屋に逃げ出す日々でした。
かといって兄貴もいないですから、和洋ロックに絡む機会もありませんでした。

そんなある日、テレビでたまたまRCサクセションのライブを放映していて(今思うとディレクター勇気あったよなぁ。。)、
そのノリ、曲、詩、体制(大勢?)への反骨、奇抜な衣装・メイク・演出に強烈な共感を覚えたのが始まりでした。(それ以降、彼らのアルバムを全部揃え、歌も覚えこみ、一人で部屋で踊りながら歌ってましたっけ(笑))

初めで最後のファンクラブ参加もRCサクセションだけです。(名前が他画我不安倶楽部だったかな)

そして彼らがきっかけとなって、ロックンロール、R&B、パンクを覚え、洋楽につながっていきました。

僕に音楽の良さを教えてくれたのがRCサクセション、忌野清志郎でした。

(カラオケで単にモノマネしてたわけではなかったんですよねぇ(笑))

ご冥福を祈ります。ありがとうございました。忘れません。

2009年5月1日金曜日

おとーしゃん

今日、朝起きたら、ちょうど娘が保育園に行くところでした。

彼女、なんだか機嫌よく、にやにやしながら、こっちを向いて

「おとーしゃん」

といってくれました。

我が家では、子供にママとかパパとか早く呼んでもらいたいという感覚は無いので、(妻と競うように)気合入れて何度も「パパ」と連呼するよくあるスタイルは取らなかったし、わざと難しい「お父さん」「お母さん」という用語を使っていました。(実際に一番早くしゃべった言葉は「ハーイ」と「わうわう(ワンワン)」だったと思います)

と、ぐだぐだ能書きたれましたが、

やっぱりうれしいっすね。その一言につきます。


最近むすめの成長が著しいです。
一連の学習プロセスが結実して結果が出始めているのでしょう。
(とまた小難しい言い方をする。それが俺(笑))

子供の成長は恐ろしいくらいすごいです。